テクニカルアドバイス
For Roadster

テクアド 人馬一体

ロードスターの発売当初、この言葉がキャッチフレーズの様になっていました。

車との一体感に溢れ、ドライバーの手足の様に車をコントロールできる感覚の事を示しているのだろうと思います。
例えば、強烈なターボチャージャーを装着した数百馬力のモンスターを人馬一体感で走らせろと言っても中々無理な話で、むしろ"ねじ伏せる"形にならざるを得ない。

僕は以前から人馬一体はチューニングする側にとって非常に深い意味合いを勝手に感じていた。
メーカーのこの言葉は販売車両つまりノーマル車について形容しているモノであって、決してその先の進化したあるいはさらにパワーアップした車について語った物ではないと思う。

ユーザーは勝手なもので、乗りやすさとある種のじゃじゃ馬的要素の両面を持ちたがる。
自分のコントロール範囲内で楽しむのだが、ある領域からはチョッと手におえない不良的感覚が自慢の車なのだ。

決して悪い事ではなく、むしろ僕自身もそんな車造りが出来たら良いなと思う。

先日のF1日本GPを皆さんはどのようにご覧になられましたか?
TV解説のままに請負で見ていたのでは恐らく誰が勝って、誰がリタイヤして、誰がクラッシュしてっとリザルト的評価になってしまう。
アレジが引退したのは確かにとても残念である。

ただ,今回のF1で僕が最も考えさせられたのが、シューマッハのコースレコードです。


鈴鹿 1分32秒484

これは神業です。

彼はブリヂストン(BS)のタイヤを履いている。 
BSの性能が良いのも分かる。 エンジンパワーやシャシーが良いのも分かる。
それにしても、最も凄いのがやはりドライバーである。
91年のゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)のレコードから2.2秒短縮だそうだ。
そうなると、フリー走行(練習日)1日目のアレジが1分35秒454でトップだった事は実に見事であり、また嬉しいことでもある。
因みにその時のシューマッハは1分36秒727。
彼は僅か2日でこのタイムから4秒以上を短縮させる事になる。

鈴鹿のコース全長は5,859m。 このコースを96秒で回る訳だから、
1秒で61m。 4秒短縮は244mになる。
僅か1周のラップで244mの差をつけるのは"神業"以外にどう説明つけよう。
今いる自分より1周後に244m先に自分がいなくてはならないのだ。


マルハではFISCOで行われるチャンピオンレース(NA1600クラス)第6戦に今年初めて参戦した。
レースレポートもその為だいぶ更新をサボっていたが、ようやく諸所の理由から参戦可能になり第6戦とあいなった。
今の所FISCOを1分43秒から44秒台が攻防ラインになっている。

1秒間で約44m位の平均スピードである。
詳しい詳細は近々レースリポートでお伝えするが、チューニングとドライバーのバランスを痛切に感ずる。
チョッとしたキャブセッティングでドライバーのフィールは変わり、アクセルの開け方が異なってしまう。

話を首題に戻すが、人馬一体こそがタイムを叩き出す最大、かつ重要な要素なのだ。
この一体感を求めて、サス変更、アライメント変更、キャブセッティング、車高調整、等
考えられる事をやり尽くす。
エンジンの各部の見直しは当然行われる。
人馬一体感はチューニング作業、メカニックの立場からは作り上げる物と考えるが、ドライバー側からはどのように考えたら良いのであろう。
ポテンシャルと言う言葉で片付けられると、ポテンシャルの低い車は何をやってもダメ、っと烙印を押されそうである。
僕としてはドライバー側からは少なくても感覚的にせよ、人馬一体感はドライバーの奥底の内面から湧き上がるパワーがあって初めて得られる一体感であるべきだと願う。

極限でレースをする事は走行会の雰囲気とは異なるが、僕が言わんとしていることはレースでも走行会レベルでも同じである。

チューニングをした車が必ず速いのではなく、一体感があって初めてタイムアップに繋がるはずである。
各ドライバーごとに独特の乗り方があって当然である。
速いヤツの真似を取りあえずしてみるのも有効であるが、その先は自分流にアレンジしなくては何時までも勝てない。

勝つためには、あるいは達成する為には、やはり"自分なりの人馬一体"なのであろう。

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